スポンサーサイト

-- --, -- | Posted in スポンサー広告

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

Black Bloc? Autonome!

06 18, 2007 | Posted in 管理人の独り言 | Thema その他 » どうでもいいって言えば良いんだけどね

0 Comments
ドイッチュラントで行われたG8サミットに対する抗議行動がスパーク。で、アホなマスコミ報道と、そのアホな報道にのせられる人、やはり登場。よりによってインディメディア。ゲンナリしたのでメモしておく。

japan.indymediaに投稿された記事「ブラックブロックと見間違われないように、ブラックブロックって?」は、主にマスメディアを材料として、というか受け売りで、「ブラックブロックは極左団体」などという。莫迦?

ブロック(bloc)は抗議行動やデモにおける結集形態のことをいうのであって──ブロックを戦術そのものとする言説も見受けられるが、それは諸戦術の総和としての形容でしかないことに注意すべきと思う──、恒常的な「団体」のことなどではない。あえていうなら現場共闘集団ほどの意味しかない。

しかも街頭行動の結集の有り様について「ブロック」という言葉が使われだしたのは主として北米であって、ドイッチュラント(ひいては欧州)では、それは逆輸入語でしかない。だから二重の意味でこの記事は莫迦なのだ。

ドイツのこととしていうなら、すでに70-80年代に強力に登場したアウトノーメ(autnome)やアンチファ(antifa)の運動において、覆面・ヘルメット・黒装束などの「戦術としての装い」が採用されている。つまり今次のG8サミット迎撃の諸行動で現れた黒装束は、アウトノーメ/アンチファ(反ネオナチ・反ファシスト)の結集を意味する。あえてわざわざ「ブラックブロック」(Black Bloc)という外来語を使用する意味は、ドイツ語圏では自称として不明なものだ。ま、気分で英語使ってくっちゃべるなかで出てくる言葉ではあるかもしれないが。

けれども、そも「ブラックブロック」とは、北米のアナキストや反権威主義者がドイツのアウトノーメの街頭闘争に影響を受けつつ現場共闘の実践としてかたちづくったものであって、欧州発のものではない。なぜ北米の直接行動文化でいうところの後発の「ブロック」語法が、先祖のドイツでシタリ顔で適用されなければならないのか。ドイツの黒装束の直接行動派が「Black Bloc」もしくは「Schwarzer Block」といつ自称したというのか? 最近になってドイツでこれらの逆輸入語・外来語を頻繁に使いだしたのはマスメディアであり、アウトノーメ/アンチファがブロックを自称する謂れはない。英語帝国主義にはウンザリだ。

ところで、アウトノーメがなぜ、覆面の黒装束という無名性的な装いを採用したかといえば、彼・彼女らの闘いの課題が、警察の弾圧のほかにネオナチやファシストの襲撃に逢着してきたという歴史的経緯がある。具体的にいえば、空家占拠(スクウォット)というアウトノーメの課題の展開において、これを目の敵にするネオナチの物理的な襲撃に備え、こうした装いが選択されていったのである。あるいは直接的にナチに反対するデモをはじめとして、様々な街頭行動が警察の激しい弾圧に見舞われるため(とはいえたびたび闘いは「暴動」に発展してきた──事情は東欧・北欧でも同様である)、やはり警察の攻撃から身を守るために同様の選択がなされた。これは、かつて日本のデモにおいて、ヘルメットが機動隊の警棒攻撃に対する防具として採用されたことと同種の意味を持っている。覆面が公安警察による面割りを防ぐものであることはいうまでもない。つまりそれはまず何よりも自衛としての装いなのだ。

この歴史的な装いの流露を無視し、あえて今さら外来語でもって「ブロック」として括るのは、権力の弾圧やネオナチとの攻防が非常に厳しいなかで闘いぬいてきたアウトノーメ/アンチファの足跡を軽視することにも通じるだろう。

そもそもドイツの国営放送が垂れ流したプロパガンダをそのまま記事にするなんてやり口は、「平和」を隠れみのにした国家主義者の嗜みにすぎない。それをインディメディアに投稿するとはいい度胸してるぜ。インディの意味をなめてるとしか思えない。クソピース専制主義者はさっさと歴史の屑篭に消えろ。
スポンサーサイト

MayDay Call!

04 24, 2007 | Posted in 管理人の独り言

0 Comments
また歌詞翻訳から離れていますが、とにかくメーデー準備で忙しくて更新できません。仕事しろよなお前状態ですが、とにかく突っ走ります。

自由と生存のメーデー07──プレカリアートの反攻

無事に終わりますように。

Ungdomshuset Communique

03 15, 2007 | Posted in 管理人の独り言 | Thema その他 » その他

0 Comments
コミュニケ

「すべてが変わった。まったく変わってしまった。怖るべき美が生まれているのだ」*

地域の、そして世界中の友よ。我々は依然としてここにいて、そして前より強くなったということもない。

2007年3月1日、Jagtvej 69 にある Ungdomshuset は長く厳しい抵抗の闘いのすえ、デンマーク史上もっとも大がかりに企てられた警察の作戦によって遂に排除された。それはヨーロッパ最大の自律的・文化的・社会的センターの一つに対する、そしてそこらじゅうにあるフリースペースに対する攻撃だった。

我々の友人たちは手当りしだいすべてのものを使って、一時間近くも警察とブルドーザーに反撃した。それは、4分で我々を叩き出せるとタカをくくっていたデンマークの警察と国家に対する一つの勝利と抗戦を誇示するものである。

怒り、激怒、フラストレーションは、ノアブロ(Nørrebro)の街路に溢れかえる連帯と抵抗の波をまざまざと示すものとなった。コペンハーゲンは燃え、サイレンがいつまでも鳴り響いた。

連帯と同調の意思表示を国際的に鼓舞し続けようと決断した友人たちへ、心からの感謝を申し上げる。

若者の家を巡る我々の四つの要求は残されたままだ。国際的な支援の遂行により、個人的・社会的な垣根と利害を超えて物理的・政治的なプレッシャーはかなりなものとなっている。

このことを念頭に起き、もう一度コペンハーゲンの街路で我々に合流するようあなた方に呼びかける。参加不可能な人たちには、自身の街で、近所で、コミュニティで、創造的かつ戦闘的な活動を行うよう激励する。

国家による物理力の独占と、警察の醜悪な社会支配は、これ以上ないというほど明白になった。路上逮捕や家宅での逮捕、監獄への連行、根拠なき国外追放が毎日惹起した。奴らはしくじったのだ! 弾圧は抵抗を増殖させたのだから。社会的な交流、自発的活動、ネットワークづくりの拡大を通じて、我々はともに立ち上がる。我々の怒りは衰えることを知らない……。

我々はあきらめない。我々は忘れない。
闘争は続く……。

若者の家の仲間
2007年3月9日


* この言葉は元はアイルランド独立運動の勃発とその殉難を語ったもの


ソース(英語版)

3月5日、Ungdomshuset取り壊し

03 06, 2007 | Posted in 管理人の独り言

0 Comments
Modkraftに掲載された報告。すでにUngdomshusetの建物が取り壊しがはじまっている。
写真1写真2、無残…。

[Ungdomshuset]デンマークの社会センター排除が、ヨーロッパを席巻する怒りに火をつける

03 06, 2007 | Posted in 管理人の独り言 | Thema その他 » テーマなんてどうでもいいや

0 Comments
Ungdomshuset排除を報告する Indymedia UK に掲載された英語の報告を翻訳してみました。

ソース: Eviction of Danish Social Centre Fuels Anger Across Europe


デンマークの社会センター排除が、ヨーロッパを席巻する怒りに火をつける

デンマーク語で「若者の家」と名付けられた、コペンハーゲンにあるスクウォットハウスは、1982年以来きわめて重要な政治的・文化的センターとして機能してきた。この家はその存立のために、長期にわたって政治的かつ法的な戦闘にまきこまれてきた。しかし昨日(3月1日)の朝7時頃、デンマーク警察はヘリコプターを使って建物の屋上に入り込み、予告なしの最大級の排除に手をつけることによってこの戦闘に終止符を打った。機動隊は迅速に街路を封鎖し、催涙ガスを使用しながら建物を襲撃した。周辺一帯が人払いされたため、抗議行動と警察の所業を記録することが困難となった。幾つかの目撃は、排除がすみやかに行われながらも、警察に対する「非常に落ちついた態度」が示されていたにもかかわらず、催涙ガスと警察の暴力がひどいものであったことを語った。
 その瞬間は本当に静けさに包まれていた。昨晩、1000人を超える人々が報告のために街路に戻ってきたときには、幾つかの主要な街路を塞いでいた(燃えさかる)バリケードは片付けられていた。また何人かが病院にかつぎこまれていた。暴動は一昼夜続き、自発的な連帯行動がヨーロッパじゅうで生起した。すなわち、ベルリン(300人余)、ケルン、ハンブルク(700人余)、ミュンヘン、カールスルーエ、ゲッティンゲン、フランクフルト、ブレーメン(300人余)、マグデブルク、ハノーヴァー、ヴィエナ、ハイデルベルク、イェーテボリ、オスロ、ヘルシンキ、ストックホルム(100人余)、フレンスブルク、ポツダム、ライプツィヒで繰り広げられたのである。翌日以降には多くのデモやその他の行動が計画され、デンマークの活動者たちは3月3日の土曜日を国際行動日として呼びかけた。デンマーク警察は強化部隊の再編のため全国からの選抜を開始し、数多くの活動者が数日のうちに首都に結集するべく準備に入った。逮捕者の総数は600人を超えた。

*  *  *

[訳注:この報告は3月1日時点のもの]

草の根民主主義的で、代替的政治性を持ち、文化的なセンターであった「若者の家」が今朝になって機動隊と対テロ空挺部隊によって強制排除された。予定されていたデモは抗議者と重装備の警察とのあいだで大規模な衝突となった。これはコペンハーゲンからの全報告である。
 1970年代末から80年代初頭にかけてオートノミスト(アウトノーメ)とスクウォッティング(占拠)の運動によってまきおこった深刻な社会闘争と蜂起ののち、いくつかの政治的な妥協の一部として、のちの「若者の家」が活動者たちに提供された。主軸となる若い活動者たちはそれを「Ungdomshuset(若者の家)」と呼び、この家でさまざまな文化的・政治的活動がはじめられることとなった。この家は、コペンハーゲンの自由街クリスチャニア[訳注:850人ほどの住民によって運営される自治区で、地理上は34ヘクタールに及ぶ半合法的状況を維持する独立コミュニティ]をのぞけば、多文化的・民主的な基盤をそなえた唯一のコレクティヴ/コミュニティ・センターだった。しかし財産上の権利は、1999年に先の政治的妥協を反古にし、家を最高額の入札者に売却することを決定した地方議会の手に残されていた。
 2001年に財産権を購入したキリスト教原理主義宗派である「父親の家(Faderhuset)」は、2003年になって「若者の家」とその使用者の排除を行うよう権力にうながした。「若者の家」を支援する数多くのデモが行われたものの、「父親の家」は判例上の保証をかちとり、事案に政治性があったにもかかわらず、政治屋たちむは深刻な争闘にまきこまれまいと逃げまわった。デンマークでの数多のデモは警察の残虐さを暴露し、12月にいたるや、「若者の家」のデモはヨーロッパじゅうの活動者と警察の大規模な衝突という段階に突入した。排除からの防衛と、政治の舞台に問題を提起するために、ひきつづき「若者の家」の防備がかためられた。
 今朝7時に対テロ急襲部隊がヘリコプターを使って「若者の家」の屋根に降り立ち、この日遅くにはコペンハーゲン全域の活動者が「若者の家」排除抗議のため緊急に結集することになった。活動者たちは、重装備の戦闘警察が通りを封鎖し、トラブルメーカーとされた人たちを負傷させつつ逮捕していくありさまに直面した。デモ参加者は果敢に反撃しつつ「若者の家」をとりかえそうと試みたがかなわず、活動者は警察とのこぜりあいを支援しながら付近の街路を占拠し、バリケードをつくりはじめた。
 近隣地区は地域住民と活動者によって完全閉鎖され、今後さらに数日から数週にわたってコペンハーゲンのいたるところで幾多の行動・デモをうつことが計画されている。警察による国境封鎖のもくろみにもかかわらず、ヨーロッパじゅうの同調者が陸続と結集している。さらに連帯デモがドイツ、ノルウェー、スウェーデンで準備中である。
 1982年以来、家は、政治的デモ、政治的な討議、コンサートや数多くの文化的イベントの揺籃所(home)となり、政治・文化センターとして機能してきた。「もう一つの世界は可能だ」をしめす草の根民主主義の残滓として今朝の今朝まで貢献してきたのである。ロシア・オーストラリアと同様にヨーロッパじゅうで生起する連帯行動が大きな共感を呼んでいる。どうか自律的なコモンズのための闘いと、新自由主義的抑圧に対する抵抗に参加し、支援していただきたい。「若者の家」のホームページはシャットダウンされたが、ミラーサイトがセットアップされている。排除前の紹介のショートビデオもある。

[報告続く──翻訳も続く?]

Ungdomshuset3.1のリソース

03 06, 2007 | Posted in 管理人の独り言 | Thema その他 » 活動記録

0 Comments
上二件はPUNK AND DESTROY の記事からリソースポインタをそのまま拝借

Ungdomshuset ryddes (politiken.dk)

たくさんの動画 (Klipside)

Ungdomshuset ryddes (写真共有サイトflickrより)

これは3.1の記録ではありませんが、YouTubeにputされた一連のUngdomshuset支援のプロパガンダムービーのなかでも、生活・文化の拠点としての「家」のかけがえのなさがよく示されている一遍。音楽の力を感じます。題して「Ungdomshuset Blir」。

しかし逮捕された連中のリーガルサポートは大丈夫だろうか? かなり心配。それにしてもこのまま強制排除・陥落で終わってしまうのだろうか…。闘いの軌跡とその記憶は「われわれ」にとって貴重な遺産となるには違いないと思っていますが、今は何ともいいがたい。

続くUngdomshusetの闘争

03 05, 2007 | Posted in 管理人の独り言 | Thema その他 » その他

0 Comments
このログでも言及してきましたが、DIYパンクフェス「K Town Festival」でも有名な、デンマーク・コペンハーゲンにあるスクウォット Ungdomshuset(若者の家)が、警察の攻撃によりついに陥落、という事態になっています。(闘いは終わったわけではありませんが)

昨年末(2006年12月16日)にも防衛戦のニュースが世界中を駆け巡りましたが、2007年3月1日にまたも警察との大規模な衝突があり、続く抗議行動の波で総計600人以上が逮捕されたようです。ドイツと北欧を中心に連帯行動が波状的に組まれ、Ungdomshusetは陥落したものの、困難な闘いに呼び起こされた圧倒的な共感は長く人々に記憶されることになるでしょう。

*  *  *

この「若者の家」はコペンハーゲン市が所有する公共施設で、1982年来、コペンハーゲンの若者らによって実力で占拠(スクウォット)され、「文化的使用」を目的としてその使用が認められてきました。しかし市(Kommune)は近年になって財政緊縮を理由として、この公共施設をキリスト教カルト(Faderhuset; faderは「父親」の意、何という皮肉!)に売却、明け渡しを「家」利用者らに通告したため、当然のように反対闘争が生起し、この数年来攻防のなかで「家」が維持されてきたという経緯があります。

昨年12月末の「暴動」以来、市側が代替施設を用意するという情報もありましたが、今回またも警察が強制排除を行うにいたって、再び大規模な市街戦さながらの衝突となりました。BBCなどの大手マスコミのニュースでは絵になる「暴動」シーンが繰り返されたようですが、この間も「家」ではライヴなど様々な催しに活用されてきたことは一切報道されることはありません。どうせ「聞き分けのないガキどもが騒いでいる」という認識しかないのでしょう。この数年来の市側の攻勢に緊張を強いられながら、スクウォットの地道な実践に投企・努力してきた多くのパンクスや「若者」たちの日常的な姿(K Town Festivalのヒトコマ!)もまた、これらマスコミによって描かれることがまずないことを考えると、そう言いたくもなります。

だからこそ(一パンクとしても)彼・彼女らの努力を思わずにはいられない。「闘い」は常に、理不尽な抑圧への叛逆となって爆発するのだと、改めて突き付けられた思いです。

Ungdomshuset

Ungdomshuset blog (ドイツ語)

K Town Festival

来たるべき「最後の戦闘」を呼びかけた動画「若者の家の排除・予告編



3.1の状況を伝えるサイト

Indymedia UK
「外人支援部隊」の概算が出ており、それによればやはりドイツ語圏・北欧地域からの支援が圧倒的。(よく読んだらヨーロッパじゅうで繰り広げられた連帯行動の記録でした)ここ数日間の衝突による逮捕者は総計600人以上と出ていますが、救援体制がどうなっているのか心配です。
Eviction of Danish Social Centre Fuels Anger Across Europe


Indymedia DK
København i undtagelsestilstand

長居公園、野宿者強制排除、無念

02 06, 2007 | Posted in 管理人の独り言 | Thema その他 » これでいいのか!?

2 Comments
年明け早々にも強行されるのではないかと危惧されていた、大阪・長居公園での野宿者「テント」の強制撤去・排除が2007年2月5日行われた。(詳しくは釜パト活動日誌へ)

当日、野宿当事者と支援者によって、野宿から排除に至る過程を描いた寸劇が公園の片隅を舞台に敢行されたという。「争いではなく話を」求めた人々の、それは、一つの切実な表現であったのだろう。それを守って、排除にまわる雇われ警備員と市職員の暴行に耐えながらスクラムを組んでいた、支援者の厚誼にも今はいうべき言葉が見つからない。

そもそも現場にいさえしかなった私に、抗議行動を寸評する資格はあろうはずがない。

*  *  *


野宿の「問題」は、野宿者に起因する問題とかたづけられることが多いが、はたしてそれでいいのだろうかと思う。そもそも生まれついての不平等があらゆる人間の人生の前提としてあるのに、世間でよく言われるが、なぜ、野宿が個人的問題として切り縮められなければならないのだろうか。ともあれ、現実は、今回の大阪市の所業に現れているように、「法」をたてにとった行政の攻撃が、「人間らしい生活を送る」という、(憲法にすら規定されているような)人としてのより高次の基本的な権利を踏みにじっていたとしても、「正義」として「処理」されてしまう、きわめて残酷なものだ。

この問題は、善意の少数者が身銭を切るという「慈善」行為ですむようなものでもない。それは社会的な対話を前提とした、長い時間をかけた対応を抜きにしては解決できないものであって(福祉をどのように実現するかという難しい問題との格闘も必要になる)、強制排除という手段によって、短時日のうちにカタを付け、一時的に「一般市民」の「目」にふれないようにしてしまえばいいという問題ではそもそもありえない。事実、所払いで野宿者は消えてなくなるわけがない。生きている限り、「おれたちはここにいる」(持たざる者の国際連帯行動のデモでの叫びとして、私はこの言葉を傍らに聞いたことがある)のである。──そして、「私たちは目を背ける」だけなのか。「私たち」とは即ち、常日頃サークルAの代紋を身に付けているpunksのことである。

野宿への道行きは確かに「個人的に」千差万別であって、一概にいうことはできない。しかし、人権を奪うカタチでようやく担保される行政の「シェルター」政策は、人を社会から切り離し、隔離するテクノロジーにすぎない。そんなもので「自立」をはかることじたいがそもそも無理なのだ。それで問題が解決されるなら、個人問題としての野宿の問題は存在しようはずもない。個人に「決意」を威迫して解決できるなら問題はとっくの昔に解決されているはずで、現実がそうならないことは、むしろ問題の構造性を暴露している。それはまた、ときに命をかけてヤクザと対峙してきた、寄せ場や港湾など、「底辺」の労働運動の苦闘が切開したことであもる。血反吐を吐くような個人の努力に対して、社会に定着できるだけのデヅラ(出面=労働賃金)を出してみろ! が、中小零細飯場・企業の雇用主も苦しいという現実がままある。なぜか? 産業を支配するてっぺんの一握りの大企業が甘い汁を吸っているからである。

野宿を個人問題としてカタをつけるために有効だと思われている言葉に、「働かざるもの食うべからず」というものがある。しかしそれは「健常者」の言葉であって、すべての人間にとって当たり前の論理として受容されるべきものではない。「障害者」は食わずに死ななければならないのか。そんなことはないと誰もが認めるだろう。では、出自が労働者や「主婦」であったりする野宿者は、ただ単に「怠けている」だけなのだろうか。そして、「怠けている」、そのことが、因果応報の最初の「因」とされるべきなのだろうか。その先を考えたい。

私たちpunksが、DIYのpunkであり、anarchopunkであるというならば、人が仕事からアブれ、そもそもきっつい仕事にしかありつけないような環境で生きてきたということを、どう考えるのか、当然そのことが問われる。

最近の野宿へと行き着く由来の傾向としては、いわゆる「きつい・汚い・危険」の3K労働からだけではなく、あらゆる種類の労働からの野宿へと到る道程も増えている。ある日突然クビを言い渡された貧乏俸給者が野宿者となる事例も当たり前のようにある。若者も多い。つまり従来の寄せ場労働者だけが野宿者にスライドしているのではないのである。また、大都市ではサウナやネット喫茶・漫画喫茶、あるいはドミトリー型のゲストルームでようやく仮の休息を確保している若者も急増している。これらの「大都市内流動型フリーター」は、不安定な宿りを転々としながら日雇い派遣労働・バイトにしかありつけず、いつまでたっても「正規の賃貸住宅」に入ることもままならない。

これらの現実は、日雇い寄せ場に結び付いたタコ飯場や、鉱山などのかつての「囚人」労働現場、また鉄鋼など金属精錬工場などに封じ込められていた暴力剥き出しの労働支配現場が、都市部において社会的に拡大し、深化してきていることを意味する。かつての飯場のオヤジが占めたポジションを様々な中小零細企業主が共有し、ヤクザのかわりに派遣企業が幅を利かせ、ヤクザ舎弟の手配師が派遣企業のバイト・パート労働者に置き換わる。奥谷禮子という派遣企業の社長などは(極端な抑圧のもとでは労働効率が極端に下がるだけなのに)、「過労死は自己管理の問題」「労働基準監督署は不要」「労働組合が労働者を甘やかしている」などと労働三法解体をめざすかのような言葉を語っては、支配的資本ブロックに媚びを売る。また、前記したネット・漫画喫茶、ゲストルームなどはドヤ(寄せ場特有の簡易宿泊施設)の代替物にすぎない。要するに一言で言えば、寄せ場の社会化が進行している。日雇いのセンパイたちは、後続の私たち自身となった。いや、私たち自身がセンパイになりつつあると言うべきだろうか。変わらないのは、その頂点に限られた者だけが君臨し、肥え続けているということだけだ。

寄せ場の社会化、貧困の拡大という状況にあって、他方では「下流」のマーケティング(三浦展)などというえげつない言葉が公然と語られ、記され、出版され、政・官・財が一体化したサロンで、貧乏人を生かさず殺さず搾り取る手練手管がマーケターやプランナーたちによってお披露目されている。ついでに「犯罪予防」として、「犯罪」の「不安」を焚き付けながら「住民」一人ひとりを煽動・動員して各種条例レベルでの治安立法を推進し、また刑法レベルでの重罪化・重罰化を進め、裁判員制度による司法の貧困化を確立しておけば、棄民政策による「社会不安」に蓋ができるとばかりに、エリートたちが研究を積み重ねる。不祥事頻発にあっても警察予算が増大を続け、また自民党が内調(内閣情報調査室)をはじめとした情報機関の、治安弾圧の準備活動となる情報活動の強化を言う(「国家の情報機能強化に関する提言」(PDF)、2006年6月22日)。事実、安部政権は内閣の情報機能を強化しようと連綿と動いている(「チーム安部」、この動向については「内閣機能強化の現状と今後の課題」(PDF)、『立法と調査』2007年1月所収、が一つの手がかりとなる)。これは、圧倒的多数の貧民に与えるトレランス(寛容)は最低限でよい、しかし不満暴発の予防は必要だ、ということではないのか。

背景となる環境も含めこうした労働社会のもとにあれば、「怠け」は生得の性質などではないことをあわせて考えるとき(そもそも「怠ける」ことがどういうことなのか、正当な労働とみなされずに賃金が支払われないシャドウワークが世の中にはゴマンとあることをあわせ考えるべきだろう)、人が「底辺」労働者としてしか生きられないような「格差」がこの社会で当前とされている限り、「民主主義」のタテマエが、「法の元の正義」というカケゴエが、うつろに響いてこないだろうか。一部恵まれた環境を除けば、「民主主義は工場の門前でたちすくむ」だけでなく、どんな職場でもたちすくんでいることに、私たちはそろそろ気がついてもいい頃だ。

世界の統治構造として階級支配が貫徹されているからこそ、居住権をかちとろうとする闘いが世界中にあり、スクウォットにパンクスが協働し、また資本のグローバリゼーションに反抗してきたのではなかったか…。CRASSがなぜスクウォットされたダイアルハウスにこだわり、また多くのイギリスのanarchopunkが社会センターである 1 in 12 club を活用してきたのか、キモはそこにある。格差、より正確に言い直すなら、階級支配の問題への一つの回答として対決的な権利行使の実践がある。Ungdomshusetを守ろうとするパンクスやアウトノーメの直接行動は、貧しき人間の最低限の「人間らしい生活」を闘い取ろうとする意志を象徴する。それは、支配者の論理である暴力/非暴力の二元論に依拠しきった「非暴力抵抗」などという口当たりのいい行動では決してありえないが、単にマスコミネタの「暴動」としてあるのでもない。

話が逸れた。先に問題の構造性と言表したが、この問題の根因は、貧困と不平等を産み出しながら、息も絶え絶えに延命をはかっている巨大資本の支配の仕組みそのものにあるのではないか。トヨタは記録的な莫大な利潤を獲得しながら、「競争が大変だから」と、その利益を働くものに分配しようとはしない。格差というなら、役員と現場労働者の格差はどうだろう。看板方式(系列による保護的受発注システム)を反古にされ過当競争に叩き込まれた下請けについては比較しようもない。基幹産業がこうであれば、いきおいあらゆる産業の構造が、ボトムを締め上げるかたちになるのは成りゆきとして難くないだろう。建設産業で談合が横行するのも、トップの搾取と安泰のために、下請けを生かさず殺さず誤魔化すための方策ではないのか。日本経団連は「ホワイトカラーエグゼンプション」(残業代ゼロ)政策をぶちあげる前から、「我々のコスト意識が許すのは、必死こいて頑張ってくれればいい正社員は二割までで、後八割はまあテキトウにやんな、面倒みきれないから」という主旨の本音をあからさまにしている(言葉そのままではないが)。

この資本主義世界では、いつだってごく限られた一部の人間が富を独占し、甘い汁を吸ってきた。「能力に応じた報酬」「格差は自己責任」という言説はまやかしにすぎないのではないか。それほど不平等と搾取、そしてそれを貫徹させようとする支配の存在は歴然としている。そして、この支配構造は「構造改革」の名のもとに、ますます強められている。

人生のスタートラインとしての不平等の問題を問わないとしても、実際問題として、野宿は決して他人事ではない。多くの人間が気張って働いて何とか生きているものの、いつ仕事を失って路頭にさまようことになるか分かったもんじゃないという不安に怯えながら暮らしている。だからこそ、野宿の問題は私たち自身の貧困の問題でもあるのだと思っている。

追記:
しかし、何が「再チャレンジ」だ。門閥血筋でいい目を見てきたボンボン二世・三世の政治屋どもこそ、このひどい労働市場での競争に、何の縁故もなく「チャレンジ」すべきだろう。

訳詞の利用について、そして著作権保護期間延長反対

01 18, 2007 | Posted in 管理人の独り言 | Thema 音楽 » 歌詞翻訳

0 Comments
当HONYAKPUNKウェッブログで訳出・掲載する訳詞の扱いについて。(扱おうという奇特な御仁がいるとも余り考えられないのですが…)

もちろん自由に利用してください。いちいちお知らせいただかなくてもけっこうです。クレジットも必要ありません。要するにHONYAKPUNKの訳詞はコモンズ(commons; 共有物)です。

最初、コピーレフト(ライセンスとしてはGFDL)のもとに置こうかと思いましたが、クレジット表記が煩(うるさ)いので、単に「自由」としました。勝手に・好きに使ってください。但し、訳の質は一切保証しません。当訳を利用して恥をかいても、その責任は一切負いかねますのでお含みおきください ;-)

また元の歌詞の著作権(著作者人格権)が著作者にあることは、「ブルヂョア法制度下にあっては」当然のことですが、そのことを抜きにしてもオリジナルについては著作者の意向に留意すべきであるのは当然の仁義ということになるでしょう。といいつつ、私自身は、著作者の意向を確かめることもせずに勝手に翻訳しています(笑)。勝手に翻訳されたかたらといって無闇矢鱈と親告するようでは、DIYパンクはお終いだと思いますが、訴えられでもしたら、まあそのときはそのときです。

さて更新ついでに、青空文庫の、著作権保護期間延長に反対する訴えに賛同し、「著作権保護期間の延長を行わないよう求める請願署名」のウェッブページに当ログからリンクを貼ることとしました。文化は共有物であるという考えが存在しなければ、DIYパンクも当然ながらここまでひろがらなかっただろうことに思いを馳せて、「著作権保護期間延長反対!」と叫んでおきます。DIYパンク支持の立場からはもっと色々叫びたいのですが、青空文庫のこの署名運動を阻害しては本末転倒なので自粛します。

ACAB

01 08, 2007 | Posted in 管理人の独り言 | Thema その他 » 独り言

0 Comments
まとまった翻訳をしている暇がないので、お茶を濁します。

ACAB (All Cops Are Bastard!!)

という某氏制作の素敵なTシャツがあるんですが、意味はもちろん

ポリは全員くたばれ!(くそったれ!)

ですね。



で、最近の話なんですが。

私の友人で、あることでパクられて懲役一年二月くらった(&執行猶予めいっぱいつけられた)のがいるんですが、逮捕時に押収されたもんを、事件から数年後、刑が確定してから一年近くたってからですね、今さらのように還付するというんですよ、逮捕手続きした署が。長いこと還付請求無視してたくせに。何考えてんだ警視庁荻窪署! 仕事サボってんじゃねえぞ税金泥棒!

ちょっと解説しますとですね、起訴ってことは、すでに検察が証拠(「罪」の証拠ってことで法律用語では「罪証」といいます)を裁判所に提出したってことなんで、起訴後は基本的に、パクった署が用済になった押収品を被告に返すべきなんですよね。宅下げなり、保釈があるなら保釈時にでも。荻窪署、何でだか知らないけど(嫌がらせか?)、起訴後にその押収品還付をサボったんです。

んで、その荻窪署から最近、押収品取りに来いって連絡が友人のところにあったらしいんですが、何を今さら&押収品還付ごときで何でわざわざ署に出向かなきゃなんないのと、ほったらかしにしてたらやって来たというわけです。しかもなぜか自称署長が!(笑) 署長を自称する怪しい奴(こいつは制服だったそう)がわざわざ来るなよ…。

それだけならまだ笑い話なんですが、自称署長の後ろにもう一人私服が。何するでもなく私服が。きょろきょろいかにも怪しい私服が。

wwwwwwwうぇwwwwwwうぇ   ちょwwwおまw

お前誰だ。お前何だ。挙動がおかしいんだよ! 人の部屋のぞきこもうとするんじゃねえ! っていうか面割れてんだよお前、公安が! 還付に来るなら一人で十分だろ!

しかし何で公安がくっついてくる必要があるんだか、まったく意味不明。(やっぱり嫌がらせか?)っていっても公安警察って存在自体がまるで意味不明なんですが…。

実際、公安の仕事ってほんと最悪。公費使ってストーカーするのが仕事だっていうんです。写真・ビデオ記録しまくって肖像権侵害するのが仕事だっていうんです。尾行したり張り込みしたりナーバス攻撃(奴らの方ではそう思っているらしい、アホです!笑)するのが仕事だっていうんです。人の動静うかがって、すきがあったら転び公妨でも何でもしてパクって手柄にするんです。上に大袈裟な報告して予算確保にヒッシこいてるんです。ていうか税金無駄遣いすんな。

POLICE... POLICE BASTARD!! DOOMが歌わざるをえなかった気持ちがよく分かります(笑)。ポリ公は世界共通、ろくなもんじゃないという話でした。

Next Page »

RSS
プロフィール

Author:anarchopunk
Note: 歓迎誤訳指摘如何訳詩利用
Link: リンク自由

FC2カウンター
最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
カテゴリー
月別アーカイブ
リンク
ブロとも申請フォーム
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。