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Punk is Dead / CRASS

02 08, 2006 | Posted in CRASS | Thema 音楽 » 歌詞翻訳

4 Comments
Punk is Dead
by CRASS

そう、その通り、パンクは死んだんだ
消費者たちの別の安っぽい製品になっちまった
プラスチックのトランジスタラジオから流れる風船ガム・ロック
大物プロモーターがけしかける、学校に通うガキどもへの煽り
CBS が Clash を販促してるけど、
革命のためなんかじゃない、ただ金のため
パンクはかつてのヒッピーのようにただのファッションになっちまった
そうだよ、んなもん、お前や俺がやろうとしていることとは何の関係もねー

ムーヴメントはシステムで、システムのおかげでぶち壊し
ムーヴメントは公衆とやらの意思表示にすぎない
パンクがムーヴメントになって、俺たちみんな喪失感を味わった
たけどリーダーたちが売り渡してくれたおかげで、今じゃ俺たちがツケを払ってるんだぜ
パンク・ナルシシズムは社会的なナパーム弾、
スティーヴ・ジョーンズはマジで害悪をまき散らしてる
奴は望むとおり奴に恵んでくれたシステムに今度はしゃぶられ、
その分、革命、アナーキー、変革のお説教ってわけだ

そうさ、色眼鏡を通して眺めてるのが嫌になっちまった
スパースターのケツをじっと眺めてるのはうんざりだ
俺はケツ、クソ、名声を手に入れた
にわか有名人の期限は15分、俺はただそれを待ってる
スティーヴ・ジョーンズ、お前はナパーム弾
お前がかなり困ってる(空っぽだ *1)というなら、どうして群れる?
パティ・スミス、お前はナパーム弾
お前は自分の手で歌詞を書く、だがその腕はランボー(*2)のだぜ

そして俺だ、そう俺だ、俺はこんなもんに熱中したいのか?
こんなものに学ぶべき何かがあるのか?
俺の怒りを販促してくれるビジネスマンが必要だってのか?
俺は名声と幸運をちらつかせる報酬に抵抗できるのか?
俺は奴らのボンデッジの装いに、利益にまみれてはしゃいでるザマを見る
奴らの耳にゃ安全ピン、でも社会的なエリート
俺はそんなものに意味はねーと見てるし、そう理解してる
さそりが攻撃したとしてもシステムが針を抜いちまうんだ

パンクは死んだ。パンクは死んだ。パンクは死んだ。
パンクは死んだ。パンクは死んだ。パンクは死んだ。
パンクは死んだ。パンクは死んだ。パンクは死んだんだ。
【訳註】

(1)原詞では「pretty (vacant)」。つまり SEX PISTOLS のあの曲のもじり。pretty だけなら形容詞として解釈し、「かわいい/洒落た/困った/ひどい」などの意味になるが、後ろに vacant(空っぽ)が来た場合は副詞となって「かなり/非常な」という意味のみとなる。この言い回しの妙はネイティヴでないと分からないのだろう、と思う。CRASSがここでジョニー・ロットン(ジョン・ライドン)ではなくスティーヴ・ジョーンズを取り上げているのは、スティーヴがピストルズのオリジナルのヴォーカリストだったからなのか、あるいは彼のより強いロックスター資質を見抜いてのことだったのか、興味深いところではある。

(2)アルチュール・ランボー(1854-91)。フランスの代表的な象徴派詩人。つまり「自作よ」というパティ・スミスに対して、「お前の歌詞なんかランボーからパクってるだけじゃねえか」と痛烈にこき下ろしている。

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4 Comments
ブラックマスカレード
09 30, 2009
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今晩は。anarchopunkさん。始めまして。

私は最近Crassにはまっていますが、中でも印象に残ったのが「Bloody Revolutions」でこれは名作です。

「Bloody Revolutions」の歌詞を読みましたが、「暴力を用いての解決」と言うものに疑問を投げかけ、それを試みようとする者に警鐘を促しているような気がします。

今度Crassを取り扱う事になったら、是非この歌を使ってください。

それでは、失礼します。
anarchopunk
10 28, 2009
URL [ edit ]
ブラックマスカレードさん、はじめまして。ここずっと放置してて、ちょっと短いのでも訳そうかなと思ってブログにアクセスしてようやくコメントに気がつきました。おそくなってすみません。

Crassの「Bloody Revolutions」はご指摘のとおりの奥深さをもっているようですね。とくに米ソ冷戦下に核武装の競争がくりひろげられるなかで、世界中でさまざまな闘争が存在するという状況のもとに、あえて「anarchy and peace」をうたった Crass(とあとにつづいた peacepunks たち)の特異さはきわだっているようです。
とはいえ、構造的な暴力に対抗する実力の闘争に対して、「平和」への指向が実際的な力をもつものかどうかはきわめて難しい問題だと思います。「平和」の闘争が実効性をもたないとき、うらをかえせば政治権力・武力を独占する体制の看過に通じることさえありうると考えられるからです(それに反対する主観とは別にして、ということですが)。anachopunk が大別して peacepunk と実力闘争派の二つに分かれているのは、その困難さを表していると考えます。

さて、Crass の歌詞は長いものばかりなので(「Bloody Revolutions」もわりと長め)、手をつけるのに時間がかかります。すみませんが気長にお待ちください……(今回は Anti Cimex の歌詞にあたるつもりでした)
ブラックマスカレード
11 23, 2009
URLedit ]
レス、ありがとうございます。anarchopunkさん。
確かに、Crassの歌詞は長いのが多いし、「Big A Little A」に至っては、余りの長さに翻訳挫折……(て言うか、こんな長い歌詞で書いたCrass本人達も覚えられるの?!)

挙げた「Bloody Revolutions」の歌詞なら既に訳してブログにも出しておきましたが、どうですかねぇ?下手な訳で十分に通じますかねぇ?

こんな所にも出しましたが(トートロジーの個所(「政府は政府、そして政府は力(Government is goverment, and all government is force)」)があったので出しました)……
http://members3.jcom.home.ne.jp/balloon_rhetoric/example/tautology.html

もし、興味がありましたら是非みてください。

追伸
最近、コンノトヒロの「ぷあぷあ?」やかずといずみの「貧乏姉妹物語」にはまっていますが、「貧乏なのに健気だなぁ」と思う反面ネオナチ等に対する反感は強まっていきました。
と言うのも、ネオナチの多くは貧乏している若者だといいますが、自らの貧困をユダヤ人やロマ人のせいにして暴力を正当化しているのです。

「ぷあぷあ?」や「貧乏姉妹物語」にはまった要素の一つとしてCRASSの影響もありますが、マンガとは言え「貧乏でも楽しく暮らせる」模範ですから「貧困=暴力の正当化」は成り立ちませんね。
何れにせよ力を使っての問題解決はやるべきでないとは思います(ナチスもソ連も、力を過信しすぎて潰れてしまったのですからね)。
anarchopunk
11 27, 2009
URL [ edit ]
おお、翻訳されたのですね。やはりCRASSがピースパンクの金字塔であることがよくわかる歌詞ですね。マルビナス戦争(フォークランド紛争)を起こし、核配備を強行したサッチャー政権のもとにあったUKで、暴力を独占する政治権力と並行して、社会変革の主体であろうとした立場に対しても批判したCRASSの勇気は記憶されていいことだと思います。ともあれ、訳出ごくろうさまでした。

ただ、わたしの「暴力」についての捉え方はブラックマスカレードさんとはやや距離があります。無前提に非暴力主義をとることができないからです。
というのも、まず非常に形式的なことですが、体制が理不尽である場合の抵抗権については認められなければならないと思いますし、またそうした「権利」を限定的に承認しようとする国際法の枠組みによらなくても、体制がもつ不公正や構造的暴力に対する自律的な大衆的実力闘争についても、やはり一概に否定することはできないと考えるからです。
非暴力は場合によっては逆説的に構造の暴力を支える悲劇をもたらします。「スペイン内戦」について言及されていますが、ファシスト勝利後のスペインはじつに悲惨な状況となっています。「内戦」の直接の相手となった勢力(共産主義者だけではなく、それせを上回るアナキストや民主主義者も含まれます)を根絶やしにするというだけでなく、どんなにささやかなレジスタンスであれ弾圧し、またそのために人々を相互監視させるという体制的暴力をつくりあげていったからです。こうした状況における「暴力」批判の困難さは、けっして「暴力」的ではないはずの社会的自由を求める運動でさえもが、ささいなことで全体主義の政治権力によって「暴力」と決めつけられるときに、抽象的に存在する「暴力」批判が利用されることさえありますよね。曰く、「テロリスト」だなんだと……。じっさい、フランコ体制のもとでは「反テロリスト法」が猛威をふるい、多くの人々が弾圧されています。暴力的であろうがなかろうが、レジスタンスはテロリスト扱いされたわけです。そのときに「暴力」批判のレトリックが動員されてしまう。
また同じく言及されている三里塚にしても、国家の側が無法な暴力をもって土地をとりあげようとした問題にふれることなく、抵抗の「暴力」についてのみいうのは体制的支配を助けることにはならないでしょうか。無前提の「暴力」批判は、外部から「支援」に合流した人々はひとまずおくとしても、少なくとも土地を開墾し耕作してきた人々(血と汗をそそいできた人々)に対して屈服しろといっているに等しい効果をもつのではないかと危惧します。管制塔を実力で占拠した闘争は、直接のにないてが左翼諸党派のミリタントであったとしても、そのたたかいは空港反対派の農民に支持されたものだったはずだからです。うらをかえしていえば、そうした実力闘争にまでおいこんだのは誰なのかということをまず押さえなければ、「暴力」批判の矛先はつねに圧倒的に力をもたない側に向かってしまうのではないでしょうか。
有史以来ずっと記録されてきた土地をめぐる闘争には、固有の背景があります。そのことをふまえたうえで、「暴力」批判がもつ意味を再考する必要があると考えます。
ただしわたしは臆病者です。自分がおいつめられたときに抵抗の「暴力」に身を焼かれる覚悟があるかといえば、そうだとはいえません。その点でこうした議論をやるのは非常にずるいことだなと自覚してはいるつもりなのですが……。
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