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Black Monday / DOOM

02 16, 2007 | Posted in DOOM | Thema 音楽 » 歌詞翻訳

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Black Monday
by DOOM

俺はお前の愚かなシステムなんか信用しない
俺たちを抑圧するこのシステムに死を
お前の資本主義者としての考えは老朽化し、使い古されたものだ
お前の経済が崩壊して、廃れることを願う
新しいはじまりを…

Slave to Convention / DOOM

02 10, 2007 | Posted in DOOM | Thema 音楽 » 歌詞翻訳

0 Comments
Slave to Convention
by DOOM

仕事に就く、
車を買う、
家を買う、
死ぬまで奴隷さ──慣習の奴隷という

長居公園、野宿者強制排除、無念

02 06, 2007 | Posted in 管理人の独り言 | Thema その他 » これでいいのか!?

2 Comments
年明け早々にも強行されるのではないかと危惧されていた、大阪・長居公園での野宿者「テント」の強制撤去・排除が2007年2月5日行われた。(詳しくは釜パト活動日誌へ)

当日、野宿当事者と支援者によって、野宿から排除に至る過程を描いた寸劇が公園の片隅を舞台に敢行されたという。「争いではなく話を」求めた人々の、それは、一つの切実な表現であったのだろう。それを守って、排除にまわる雇われ警備員と市職員の暴行に耐えながらスクラムを組んでいた、支援者の厚誼にも今はいうべき言葉が見つからない。

そもそも現場にいさえしかなった私に、抗議行動を寸評する資格はあろうはずがない。

*  *  *


野宿の「問題」は、野宿者に起因する問題とかたづけられることが多いが、はたしてそれでいいのだろうかと思う。そもそも生まれついての不平等があらゆる人間の人生の前提としてあるのに、世間でよく言われるが、なぜ、野宿が個人的問題として切り縮められなければならないのだろうか。ともあれ、現実は、今回の大阪市の所業に現れているように、「法」をたてにとった行政の攻撃が、「人間らしい生活を送る」という、(憲法にすら規定されているような)人としてのより高次の基本的な権利を踏みにじっていたとしても、「正義」として「処理」されてしまう、きわめて残酷なものだ。

この問題は、善意の少数者が身銭を切るという「慈善」行為ですむようなものでもない。それは社会的な対話を前提とした、長い時間をかけた対応を抜きにしては解決できないものであって(福祉をどのように実現するかという難しい問題との格闘も必要になる)、強制排除という手段によって、短時日のうちにカタを付け、一時的に「一般市民」の「目」にふれないようにしてしまえばいいという問題ではそもそもありえない。事実、所払いで野宿者は消えてなくなるわけがない。生きている限り、「おれたちはここにいる」(持たざる者の国際連帯行動のデモでの叫びとして、私はこの言葉を傍らに聞いたことがある)のである。──そして、「私たちは目を背ける」だけなのか。「私たち」とは即ち、常日頃サークルAの代紋を身に付けているpunksのことである。

野宿への道行きは確かに「個人的に」千差万別であって、一概にいうことはできない。しかし、人権を奪うカタチでようやく担保される行政の「シェルター」政策は、人を社会から切り離し、隔離するテクノロジーにすぎない。そんなもので「自立」をはかることじたいがそもそも無理なのだ。それで問題が解決されるなら、個人問題としての野宿の問題は存在しようはずもない。個人に「決意」を威迫して解決できるなら問題はとっくの昔に解決されているはずで、現実がそうならないことは、むしろ問題の構造性を暴露している。それはまた、ときに命をかけてヤクザと対峙してきた、寄せ場や港湾など、「底辺」の労働運動の苦闘が切開したことであもる。血反吐を吐くような個人の努力に対して、社会に定着できるだけのデヅラ(出面=労働賃金)を出してみろ! が、中小零細飯場・企業の雇用主も苦しいという現実がままある。なぜか? 産業を支配するてっぺんの一握りの大企業が甘い汁を吸っているからである。

野宿を個人問題としてカタをつけるために有効だと思われている言葉に、「働かざるもの食うべからず」というものがある。しかしそれは「健常者」の言葉であって、すべての人間にとって当たり前の論理として受容されるべきものではない。「障害者」は食わずに死ななければならないのか。そんなことはないと誰もが認めるだろう。では、出自が労働者や「主婦」であったりする野宿者は、ただ単に「怠けている」だけなのだろうか。そして、「怠けている」、そのことが、因果応報の最初の「因」とされるべきなのだろうか。その先を考えたい。

私たちpunksが、DIYのpunkであり、anarchopunkであるというならば、人が仕事からアブれ、そもそもきっつい仕事にしかありつけないような環境で生きてきたということを、どう考えるのか、当然そのことが問われる。

最近の野宿へと行き着く由来の傾向としては、いわゆる「きつい・汚い・危険」の3K労働からだけではなく、あらゆる種類の労働からの野宿へと到る道程も増えている。ある日突然クビを言い渡された貧乏俸給者が野宿者となる事例も当たり前のようにある。若者も多い。つまり従来の寄せ場労働者だけが野宿者にスライドしているのではないのである。また、大都市ではサウナやネット喫茶・漫画喫茶、あるいはドミトリー型のゲストルームでようやく仮の休息を確保している若者も急増している。これらの「大都市内流動型フリーター」は、不安定な宿りを転々としながら日雇い派遣労働・バイトにしかありつけず、いつまでたっても「正規の賃貸住宅」に入ることもままならない。

これらの現実は、日雇い寄せ場に結び付いたタコ飯場や、鉱山などのかつての「囚人」労働現場、また鉄鋼など金属精錬工場などに封じ込められていた暴力剥き出しの労働支配現場が、都市部において社会的に拡大し、深化してきていることを意味する。かつての飯場のオヤジが占めたポジションを様々な中小零細企業主が共有し、ヤクザのかわりに派遣企業が幅を利かせ、ヤクザ舎弟の手配師が派遣企業のバイト・パート労働者に置き換わる。奥谷禮子という派遣企業の社長などは(極端な抑圧のもとでは労働効率が極端に下がるだけなのに)、「過労死は自己管理の問題」「労働基準監督署は不要」「労働組合が労働者を甘やかしている」などと労働三法解体をめざすかのような言葉を語っては、支配的資本ブロックに媚びを売る。また、前記したネット・漫画喫茶、ゲストルームなどはドヤ(寄せ場特有の簡易宿泊施設)の代替物にすぎない。要するに一言で言えば、寄せ場の社会化が進行している。日雇いのセンパイたちは、後続の私たち自身となった。いや、私たち自身がセンパイになりつつあると言うべきだろうか。変わらないのは、その頂点に限られた者だけが君臨し、肥え続けているということだけだ。

寄せ場の社会化、貧困の拡大という状況にあって、他方では「下流」のマーケティング(三浦展)などというえげつない言葉が公然と語られ、記され、出版され、政・官・財が一体化したサロンで、貧乏人を生かさず殺さず搾り取る手練手管がマーケターやプランナーたちによってお披露目されている。ついでに「犯罪予防」として、「犯罪」の「不安」を焚き付けながら「住民」一人ひとりを煽動・動員して各種条例レベルでの治安立法を推進し、また刑法レベルでの重罪化・重罰化を進め、裁判員制度による司法の貧困化を確立しておけば、棄民政策による「社会不安」に蓋ができるとばかりに、エリートたちが研究を積み重ねる。不祥事頻発にあっても警察予算が増大を続け、また自民党が内調(内閣情報調査室)をはじめとした情報機関の、治安弾圧の準備活動となる情報活動の強化を言う(「国家の情報機能強化に関する提言」(PDF)、2006年6月22日)。事実、安部政権は内閣の情報機能を強化しようと連綿と動いている(「チーム安部」、この動向については「内閣機能強化の現状と今後の課題」(PDF)、『立法と調査』2007年1月所収、が一つの手がかりとなる)。これは、圧倒的多数の貧民に与えるトレランス(寛容)は最低限でよい、しかし不満暴発の予防は必要だ、ということではないのか。

背景となる環境も含めこうした労働社会のもとにあれば、「怠け」は生得の性質などではないことをあわせて考えるとき(そもそも「怠ける」ことがどういうことなのか、正当な労働とみなされずに賃金が支払われないシャドウワークが世の中にはゴマンとあることをあわせ考えるべきだろう)、人が「底辺」労働者としてしか生きられないような「格差」がこの社会で当前とされている限り、「民主主義」のタテマエが、「法の元の正義」というカケゴエが、うつろに響いてこないだろうか。一部恵まれた環境を除けば、「民主主義は工場の門前でたちすくむ」だけでなく、どんな職場でもたちすくんでいることに、私たちはそろそろ気がついてもいい頃だ。

世界の統治構造として階級支配が貫徹されているからこそ、居住権をかちとろうとする闘いが世界中にあり、スクウォットにパンクスが協働し、また資本のグローバリゼーションに反抗してきたのではなかったか…。CRASSがなぜスクウォットされたダイアルハウスにこだわり、また多くのイギリスのanarchopunkが社会センターである 1 in 12 club を活用してきたのか、キモはそこにある。格差、より正確に言い直すなら、階級支配の問題への一つの回答として対決的な権利行使の実践がある。Ungdomshusetを守ろうとするパンクスやアウトノーメの直接行動は、貧しき人間の最低限の「人間らしい生活」を闘い取ろうとする意志を象徴する。それは、支配者の論理である暴力/非暴力の二元論に依拠しきった「非暴力抵抗」などという口当たりのいい行動では決してありえないが、単にマスコミネタの「暴動」としてあるのでもない。

話が逸れた。先に問題の構造性と言表したが、この問題の根因は、貧困と不平等を産み出しながら、息も絶え絶えに延命をはかっている巨大資本の支配の仕組みそのものにあるのではないか。トヨタは記録的な莫大な利潤を獲得しながら、「競争が大変だから」と、その利益を働くものに分配しようとはしない。格差というなら、役員と現場労働者の格差はどうだろう。看板方式(系列による保護的受発注システム)を反古にされ過当競争に叩き込まれた下請けについては比較しようもない。基幹産業がこうであれば、いきおいあらゆる産業の構造が、ボトムを締め上げるかたちになるのは成りゆきとして難くないだろう。建設産業で談合が横行するのも、トップの搾取と安泰のために、下請けを生かさず殺さず誤魔化すための方策ではないのか。日本経団連は「ホワイトカラーエグゼンプション」(残業代ゼロ)政策をぶちあげる前から、「我々のコスト意識が許すのは、必死こいて頑張ってくれればいい正社員は二割までで、後八割はまあテキトウにやんな、面倒みきれないから」という主旨の本音をあからさまにしている(言葉そのままではないが)。

この資本主義世界では、いつだってごく限られた一部の人間が富を独占し、甘い汁を吸ってきた。「能力に応じた報酬」「格差は自己責任」という言説はまやかしにすぎないのではないか。それほど不平等と搾取、そしてそれを貫徹させようとする支配の存在は歴然としている。そして、この支配構造は「構造改革」の名のもとに、ますます強められている。

人生のスタートラインとしての不平等の問題を問わないとしても、実際問題として、野宿は決して他人事ではない。多くの人間が気張って働いて何とか生きているものの、いつ仕事を失って路頭にさまようことになるか分かったもんじゃないという不安に怯えながら暮らしている。だからこそ、野宿の問題は私たち自身の貧困の問題でもあるのだと思っている。

追記:
しかし、何が「再チャレンジ」だ。門閥血筋でいい目を見てきたボンボン二世・三世の政治屋どもこそ、このひどい労働市場での競争に、何の縁故もなく「チャレンジ」すべきだろう。

Scared / DOOM

01 21, 2007 | Posted in DOOM | Thema 音楽 » 歌詞翻訳

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Scared
by DOOM

感情を表に出さず、真実を覆い隠す

理解、理解するんだ

分かち合われるべき想いが内に抑制されてしまった

理解、理解するんだ

It's not Rocket Science / ACTIVE MINDS

01 19, 2007 | Posted in ACTIVE MINDS | Thema 音楽 » 歌詞翻訳

0 Comments
It's not Rocket Science
by ACTIVE MINDS

私たちの先祖の代には贅沢品だったものが今では必需品
仮に私たちがこのままであるなら、どうなると思う?
誰もが「必要だ」と消費する元となる資源はどこにあるんだ?
もはや余分な場所がなくなってしまったら、どこにゴミを捨てるんだ?
君が特別賢くなくたって、こんなことはいつまでも続かないと分かるはず
他者もまた生きるべき方法を無視しないのであれば、
私たちは与うべき地球からこれ以上収奪するわけにはいかない
今や誰もが完全無欠に生活できるとは思わないけれど、
安全に関する間違った考え取り払うことが私たちには必要だ
私たちは今日できることを明日に延ばすわけにはいかないし、
常に私たちに方策を見せつける新たな科学技術に期待もできない
君が特別賢くなくたって、こんなことはいつまでも続かないと分かるはず
もっと証明が必要だなんて言わないでくれ
──ただ目隠しを外して真実を見るんだ

訳詞の利用について、そして著作権保護期間延長反対

01 18, 2007 | Posted in 管理人の独り言 | Thema 音楽 » 歌詞翻訳

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当HONYAKPUNKウェッブログで訳出・掲載する訳詞の扱いについて。(扱おうという奇特な御仁がいるとも余り考えられないのですが…)

もちろん自由に利用してください。いちいちお知らせいただかなくてもけっこうです。クレジットも必要ありません。要するにHONYAKPUNKの訳詞はコモンズ(commons; 共有物)です。

最初、コピーレフト(ライセンスとしてはGFDL)のもとに置こうかと思いましたが、クレジット表記が煩(うるさ)いので、単に「自由」としました。勝手に・好きに使ってください。但し、訳の質は一切保証しません。当訳を利用して恥をかいても、その責任は一切負いかねますのでお含みおきください ;-)

また元の歌詞の著作権(著作者人格権)が著作者にあることは、「ブルヂョア法制度下にあっては」当然のことですが、そのことを抜きにしてもオリジナルについては著作者の意向に留意すべきであるのは当然の仁義ということになるでしょう。といいつつ、私自身は、著作者の意向を確かめることもせずに勝手に翻訳しています(笑)。勝手に翻訳されたかたらといって無闇矢鱈と親告するようでは、DIYパンクはお終いだと思いますが、訴えられでもしたら、まあそのときはそのときです。

さて更新ついでに、青空文庫の、著作権保護期間延長に反対する訴えに賛同し、「著作権保護期間の延長を行わないよう求める請願署名」のウェッブページに当ログからリンクを貼ることとしました。文化は共有物であるという考えが存在しなければ、DIYパンクも当然ながらここまでひろがらなかっただろうことに思いを馳せて、「著作権保護期間延長反対!」と叫んでおきます。DIYパンク支持の立場からはもっと色々叫びたいのですが、青空文庫のこの署名運動を阻害しては本末転倒なので自粛します。

Obligation / ACTIVE MINDS

01 15, 2007 | Posted in ACTIVE MINDS | Thema 音楽 » 歌詞翻訳

0 Comments
Obligation
by ACTIVE MINDS

ひろがる懸隔、せばまる共感
これが本当にあるべき道なのか
他者の忍耐への無理解
──私たちは貧者の苦境へとまきこまれることを拒否している
私たちの帝国は他者の死地のうえに築かれた
──私たちはかれらの土地を盗奪し、かれらを隷属させた
私たちの富は大量虐殺によってもたらされたもの
私たちの都市は死者の傷痕を負っている
世界は誰もの要求を満たせるほど十分なのに、
世界の富の分配は実際には力がない
この国家をつくるために盗まれたものを返すこと
それは慈善などではなく責務なんだ

ACAB

01 08, 2007 | Posted in 管理人の独り言 | Thema その他 » 独り言

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まとまった翻訳をしている暇がないので、お茶を濁します。

ACAB (All Cops Are Bastard!!)

という某氏制作の素敵なTシャツがあるんですが、意味はもちろん

ポリは全員くたばれ!(くそったれ!)

ですね。



で、最近の話なんですが。

私の友人で、あることでパクられて懲役一年二月くらった(&執行猶予めいっぱいつけられた)のがいるんですが、逮捕時に押収されたもんを、事件から数年後、刑が確定してから一年近くたってからですね、今さらのように還付するというんですよ、逮捕手続きした署が。長いこと還付請求無視してたくせに。何考えてんだ警視庁荻窪署! 仕事サボってんじゃねえぞ税金泥棒!

ちょっと解説しますとですね、起訴ってことは、すでに検察が証拠(「罪」の証拠ってことで法律用語では「罪証」といいます)を裁判所に提出したってことなんで、起訴後は基本的に、パクった署が用済になった押収品を被告に返すべきなんですよね。宅下げなり、保釈があるなら保釈時にでも。荻窪署、何でだか知らないけど(嫌がらせか?)、起訴後にその押収品還付をサボったんです。

んで、その荻窪署から最近、押収品取りに来いって連絡が友人のところにあったらしいんですが、何を今さら&押収品還付ごときで何でわざわざ署に出向かなきゃなんないのと、ほったらかしにしてたらやって来たというわけです。しかもなぜか自称署長が!(笑) 署長を自称する怪しい奴(こいつは制服だったそう)がわざわざ来るなよ…。

それだけならまだ笑い話なんですが、自称署長の後ろにもう一人私服が。何するでもなく私服が。きょろきょろいかにも怪しい私服が。

wwwwwwwうぇwwwwwwうぇ   ちょwwwおまw

お前誰だ。お前何だ。挙動がおかしいんだよ! 人の部屋のぞきこもうとするんじゃねえ! っていうか面割れてんだよお前、公安が! 還付に来るなら一人で十分だろ!

しかし何で公安がくっついてくる必要があるんだか、まったく意味不明。(やっぱり嫌がらせか?)っていっても公安警察って存在自体がまるで意味不明なんですが…。

実際、公安の仕事ってほんと最悪。公費使ってストーカーするのが仕事だっていうんです。写真・ビデオ記録しまくって肖像権侵害するのが仕事だっていうんです。尾行したり張り込みしたりナーバス攻撃(奴らの方ではそう思っているらしい、アホです!笑)するのが仕事だっていうんです。人の動静うかがって、すきがあったら転び公妨でも何でもしてパクって手柄にするんです。上に大袈裟な報告して予算確保にヒッシこいてるんです。ていうか税金無駄遣いすんな。

POLICE... POLICE BASTARD!! DOOMが歌わざるをえなかった気持ちがよく分かります(笑)。ポリ公は世界共通、ろくなもんじゃないという話でした。

Ungdomshuset Eviction Trailer テロップの訳

12 29, 2006 | Posted in 管理人の独り言 | Thema その他 » YouTube動画

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ということで、PUNKSCHIZO でその所在を教えられた、YouTubeにアップされている動画「Ungdomshuset Eviction Trailer(若者の家の排除・予告編)」のテロップを順に訳してみました。最後まで見たら、なぜ「Trailer(予告)」なのか分かります。

*  *  *

このフィルムは不法だ

このフィルムにはパクってきた動画、静止画、音声が含まれている

このことはあなたに法を破る勇気を与える

なぜ?

なぜなら、時としてあなたは愛するもののために闘わなければならないから

(家概観の静止画挟む)

たとえそれが不法であったとしても

(サーチライトに照らされる家の動画挟む)

なぜなら、政治屋どもが異なっているとされるすべてのものに対して戦争をしかけるから

(政治屋、排除・連行の静止画、音声挟む)

なぜなら、市議会が過去に譲り渡していたはずの家を売り払ってしまったから

人種差別主義で、同性愛嫌いの、洗脳されたキリスト教カルトを儲けさせるためだけに

(カルトの静止画挟む)

なぜなら、ポリ公どもが座り込みをしている人たちを襲撃するから

(警棒で殴りまくり、連行するポリの静止画、動画挟む、BGMの調子変わる)

裁判に引きずり出されるまでもなく

私たちはタコ殴りにされ、パクられ、ひどい目にあわされる

思いがけずそこにいたために

(動画挟む、BGMの調子変わる)

その家には24年分の私たちの愛と希望と夢がつまっているから

(家に人々が集う様子の静止画挟む)

この家を愛する多くの私たちがいるから

(圧倒的多数のデモの静止画挟む)

法は、私たちに家から出なければならないと告げる

今こそ法を破る時だ

Ungdomshuset(若者の家)の排除にポリがやってくる

闘いの時だ

奴らが私たちの家を襲撃しにやってくるなら

私たちは暴れ狂うだろう

(市街戦の静止画挟む)

バリケードで会おう 最後の戦闘で

私たちには闘わなければならないものがあるのだから


情報は以下にて:
www.aktivist.nu
www.ungdomshuset.info


このムービーを広めてください
アンチ・コピーライト

Ungdomshusetが教えるもの

12 29, 2006 | Posted in 管理人の独り言 | Thema その他 » 独り言

0 Comments
こういうウェッブログ(web log)をご覧になっているパンクスにとってみれば、acclaimPUNKSCHIZO / PUNK AND DESTROY、あるいは Irregular Rhythm Asylum のログなどで伝えられているように、デンマーク・コペンハーゲンにある24年来のスクウォットUngdomshusetを巡る攻防戦が大変なことになっていることは周知のことかと思います。(なんと12月16日、遂に市街戦さながらの暴動蜂起となり、大勢のパンクスを含む300名以上が逮捕されたと伝えられています)(Ungdomshusetの歴史については、英語版ですがWikipediaの項目を参照してください)

何が本当に大変なのかは、欧州に根強く存在しているスクウォット(占拠、主に住宅占拠のことをいう)の実践や、またその実践を一概に否定しない、居住権という考え方への理解が広く存在することなどを見なければ分かりづらいことかもしれません。日本で暮らしていると居住権という概念そのものがまず理解されにくいということもありますし、そのことが野宿者(ホームレス)への批判・攻撃といった傾向に反映されているような気もします。

しかし、「使われていない建物・場所」を任意に占拠して役立てるということが、ほんとうに攻撃に値することなのかどうかについては、慎重な議論が必要ではないか…と当ログ運営者は愚考します。というのも、人にとって住処がないということは大問題であり、当たり前のことですが、屋根がなければ雨露もしのげないし、ましてや厳冬に路上で起居することの危険(時にそれは路上の死=「野垂れ死に」につながる)を顧慮すれば、背に腹は変えられない「居場所・寝床の確保」は、「人が人として生きる」ぎりぎりのラインの権利(生存権)の行使とも考えられるからです。

UngdomsHusetの場合は、主に文化的な活動などに活用される「社会センター」(これもまた欧州には多くある)としての機能が大きいようですので、野宿者が抱え込まざるをえない困難性とは少し異なった問題にぶちあたったと見るべきでしょう。が、この文化活動もまた人にとって有用なものという見方をすれば、「若者の家(Ungdomshuset)」が様々な営為によって獲得・維持・運営され、しかも自治体(コペンハーゲン市)に一定の範囲でそれを認めさせてきた、という前提はやはり大きな意味を持っていると思います。その前提はまた、行政(地方・中央政府問わず)は、住宅の供給や人が「文化」的に生活できるように環境を整備する義務がある、という社会的認識の広範な存在を示唆しているだろうからです。

逆に言えば、場を自主的・自律的に運営し(DIY!)、またそれを正当なものとして周囲への理解を求める地道な努力、そして不当な攻撃に対する自己の尊厳をかけた闘いなどを抜きにしては、Ungdomshusetそのものがありえなかったということでもあるでしょう。権利は黙っていては反古にされる。この簡単な事実もまたUngdomshusetの成立史によって示されています。

だからこそ私はUngdomshusetの闘いにある種の希望を見い出します。しかもその営為には実に多くのパンクスが関わっている!

いま、私たちが暮らす社会は様々な場面で、「遺物・異者を排除する」という傾向を強めているように思います。ひとり野宿者だけでなく、職を求めて流れ着いた「不法」滞在者や、政治的・社会的な自由を奪われて逃れてきた難民の人々への無理解に基づく一方的な攻撃・排除。そのほかにも様々な「(大勢と)違う」という理由だけで、不寛容な差別や排外主義がまかり通っています。しかしそうした異物排除(eviction)への大勢に抗して、人間が人間として生きるための理解や議論を求め、抵抗する闘いに奔走する人々も確かにいます(※)。

※こうした立場から、Ungdomshusetへの支援的なインフォメを行っているウェッブログに★北河内路上通信があります。Ungdomshusetの声明の抄訳なども出ているので参照してみてください。

もちろん、占拠ということへの評価が様々あるように、私は性急に何が「正義」だというつもりはありません。しかしUngdomsHusetの蜂起が示すように、常に「正義と法」を手にしている政治的な権力(行政、国家...)は、人々の異議申し立てや問題解決のための交渉を容赦なくはねつけ、あるいは一見対応するかのようなふりをして結局はだまし討ちをし、遂には、その内部では決してそう呼ばれることのない暴力を動員して、実際に容赦なくまつろわぬ(従わない)人々を打ちのめし追い払おうとします。(私自身、この数年、ブッシュ・アメリカのいいなりになって軍隊を派兵する日本の政治に反対して様々な活動に参加してきましたが、何人もの友人たちが警察の言い掛かりや「暴力」によってパクられていくのを目の当たりにしてきました──もちろん被逮捕者の救援活動に奔走しましたが、かなり悩みました──逮捕される方が悪いのだという大多数の冷笑に取り巻かれたからです)

こうした経緯を見れば、実際には何が本当の「公共」のための解決もしくは調整になりうるのか、どうすればすべての人が人らしく生きられる社会になるのかという大きな問題について、そう簡単に「不法」ということのみを根拠にして事態を処理してしまっていいのか、という思いが拭えません。ぶっちゃけていえば、法あるいはその執行機関が、常に「正当」とは限らない、Ungdomshusetの蜂起はそう教えているように思われてならないのです。





なーーーーーーんて長広舌してる暇があったら翻訳しろって? その通りですね。はい。

とにかく、お金に余裕がある人は、PUNK AND DESTROY でカンパ送金の労を取られているようなので集中してください! お店(大阪)が遠いって人は… どうすればいいんだろう、Ungdomshusetのサイトを見てもカンパ先が分からない(苦笑)。

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Author:anarchopunk
Note: 歓迎誤訳指摘如何訳詩利用
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